大学病院では形成外科・レーザー外来を担当していました。1990年代後半、ちょうどQスイッチ機能を持つレーザー治療が日本国内で始まった、レーザー治療の革新時期です。当時はある程度試行錯誤の治療をしてきたように記憶してます。
多数の治療経験がありますので、適切な治療やアドバイスができます。当院で治療が困難な場合には適切な治療施設を紹介します。大学病院では レーザー治療以外には顔面骨骨折整復手術を数多く経験してきました。
平成 6年 | 杏林大学医学部卒業 |
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平成 6年 | 杏林大学病院形成外科学教室入局 |
平成 10年 | 滝山病院形成外科勤務 |
平成 14年 | アイワクリニック(埼玉県美容外科・レーザー治療専門クリニック) |
平成 16年 | 高崎メディカルクリニック開業 |
備考 |
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幼少の頃、利根川の近くに住んでおりましたので魚釣りや川で近所の友人達と遊んでいました。
父は内科開業医です。
小学校で検診に校医として父が来るのが恥ずかしくて嫌だったという思い出があります。
母は薬剤師で医院の手伝いをしていました。
共働き家庭だったので祖母が自分の面倒を見てくれました。
「おばあちゃん子」だったと思います。
親は教育熱心だったこともあり、群大附属中学を受験をしました。
中学3年生ころから急に視力が悪くなり黒板がよく見えず、眼鏡をするのが嫌でコンタクトレンズにしました。
勉強はついていくのがやっとという状態でした。
高校、大学時にはスキー部に所属していましたがプロ級には程遠いです。(笑)
大学受験はどうにか私立医学部に引っかかり、両親に懇願し入学させてもらいました。
両親には感謝しております。
大学は東京でした。
始めての一人暮らしは楽しかったです。
バブル絶頂期の東京で、馬が合う同級生たちとあまり勉強もせずに遊んでおりました。
お金を使わずともとても楽しめた時代でしたね。
音楽は大好きで、良く六本木や横浜のDISCO、クラブに行きました。
当時は、"Japan as No1"と言われるほど景気が良く、海外ミュージシャンが多く来日し、コンサートにも良く出かけました。
R&B(黒人系音楽)が好みだったので、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、EW&F、Kool&the Gang、ジェームス・ブラウン、ZAPP、GUYとか・・ ジュリアナやMカルロ、GOLDなどの楽しいスポットもその頃は沢山ありましたね。
父が無類のオーディオ好きで、小さい頃から専門店に連れて行ってもらったり洋楽にも触れていましたが、衝撃だったのは中学生の時、秋葉原のオーディオ屋さんで大音響で聞いたEW&Fのレッツグルーブ!です。
前橋のレコード屋さん(新星堂)でそのLPを見つけた時は 嬉しかったです。
擦り切れるくらいよく聞いていました。
現在はR&Bはほとんど聞かず、Latin musicばっかりです。
SALSA、Bachataというダンスも習っています。
たまに都内の練習会にも行っています。
が、とっても下手です(笑)
大学卒業後は内科で研修を受けその後、形成外科に転科しました。
医療の王道である内科や外科と違い、医局の先生方は変わり者が多かったように思います。
でも、そんな雰囲気が私には合っていました。
今でこそレーザー治療を専門にする医師も増えてきましたが、当時のレーザー外来は、治療効果を検証しながらの不確実な施術も多かったように思えます。
実は当時のレーザーは良く壊れました。
レーザー外来では助教授がまず診察し、治療自体は先輩医師と私が中心に行っていましたがレーザーが壊れると私(電話係)の出番です。
レーザー会社に「動きません!すぐ見に来てください!」
・・と何度電話したことでしょう・・
そのことが縁で最大手レーザー会社の社長、社員さん達と懇意になり、後に私のクリニック開業時には多くの手助けをして貰えるという運にも恵まれました。
その後、大学病院から離れ、都内と大阪のレーザー治療専門のクリニックに勤務しました。
大学病院でもかなり多くのレーザー機器類を扱い経験が出来ましたが、美容目的の機器類を多く経験できたのは都内と大阪のレーザー治療専門クリニックに移ってからです。
一番最初のIPL治療器・ルミナス社製のフォトフェイシャル治療器(ナチュライト)も国内では最も早い時期(2001年)から施術を経験しています。
当院の強みは美容目的のレーザーや光線治療機器だけでなく、病気のアザに対するレーザー機器もきちんと揃えているところです。
最近の流行りで美肌治療を始めたクリニックなどではここまでの治療機器の用意は無いのがほとんどです。
もし万一、美容目的の治療で予想外の不具合が生じてしまった場合にも、きちんと対応できる技術・機器を持ち合わせておりますのでご安心ください。
病気を治し正常に戻すことが医師の仕事で、マイナスをゼロに戻すことが一般的な医療なのでしょう。
ですが当院はどちらかというと、肌状態も容貌も綺麗な方の割合が高いように感じております。
ゼロ(0)をプラス(+)に、あるいはプラスを2プラス(++)、3プラス(+++)に変えていくのが美容治療です。
「美容的な皮膚治療・アンチエイジング治療」は、緊急性はありませんがみなさまに満足をしていただける医療だと思います。
医療技術、医療機器の発展は様々な恩恵を生み出しています。
『自費治療は、どうも胡散臭い』というイメージがまだ強いようですが、1999年に起こった美容皮膚科治療の革命・IPL治療器(光線治療器)の登場依頼、年々治療は進化してきております。
美容目的の治療薬も、きちんとしたもの(国内専用の正規品)が揃ってきております。
当医院を開業した理由は都内・大阪で勤務していたクリニックはオーナーが医師ではなく「ちょっと考え方が違うな・・」と思っていたからで、開業するなら地元以外は思いつかず、約10年前に駅前のビル2階にフロアーを借りクリニックを始め、現在は市役所前にクリニックを持つに至りました。
地元で開業するとやはり人のつながりの重要性に気づかされます。
美肌治療は一人一人の患者さん治療に要する時間も長いので、患者さんと世間話をしていると知り合いの名前が出てきたりします。
地元に戻り10年、これからも地元のみなさまにお役にたてるよう努めてまいります。
お肌のことで気にされたり、お一人で悩まれていましたらお気軽にお問合せ頂ければと思っております。
落ち着いた雰囲気の当医院でゆっくりお話を伺います。
※ 当院の施術は比較的安全な治療が多いですが医療行為には必ずリスクが伴います。予想外の反応が起こる可能性もあります。満足出来る結果が出るよう治療を提供しますが医師側、患者側で治療結果に対する評価にズレが生ずる可能性もあります。万人が100%満足できる施術はないかと思われます。特に美容目的治療は緊急性・必要性が薄い医療です。以上につき十分ご理解の上でご来院ください。
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